Hさんのレッスンでのこと。
「パーカーをちょっとコピーしてたんですが、パーカーって、、あんまりオルタード(スケール)って、出てこない気が」
と、Hさん。
確かに、そうですよね。ジャズ、ビバップ、と言えばもう=オルタード、って気がします。ところが、意外にパーカーをはじめ、初期バッパーのフレーズには、「オルタードテンション」は出てくるものの、「そのままの」オルタードスケールは出てきません。
例えば、

上記(Confirmationのソロ、18小節目)は、いかにも、といった感じの定番のフレーズですが、これは「オルタードスケール」で弾かれているとはいえませんよね。確かにb9は入っていますが、頭はナチュラル9thから始まっているし、オルタードには存在しないP5thやP4thの音も入っている。かといって、ハーモニックマイナーでもない。それと経過音。
つまりこれはスケールからではなく、コードトーン(アルペジオ)と、+経過音で作られているフレーズで、パーカーや、パーカーと同時期のバッププレイヤーはほぼこういったコンセプトでフレージングされています。
もちろん、今でもこういったフレージング(アルペジオ+経過音)は基本ですし、スケールライクなフレージングと並び、主要なアプローチの一つです。曲によって、また場所によって、演奏家はこの二つのどちらか(あと、付け加えるならブルース的なアプローチと、シーケンス的なアプローチ)を使い分けているといってもいいでしょう。
ところが、この時代のバッパー達には、あまりスケールライクなオルタードのフレージングは見受けられません。Hさんの疑問は正しいと言えます。
ではなぜ、この時代のバッパー達はスケールライクなオルタードのフレージングをしないのでしょうか。
その理由は実はシンプルで、それは、この時代にはオルタードスケールはまだ存在しなかったからです(クラシックの世界ではもちろん既に使われていましたが)。と聞くと驚く方も多いかもしれませんが。そもそも我々が今、当たり前のように話している、オルタードやII-V、裏コード(サブスティテュート)といったジャズ理論の手法と名称は、いわゆるバークリー音大と共に生まれたものだからです。
では、そのバークリーという学校はいつ生まれたのか?というと、1945年に設立されています。まさにビバップが生まれた直後。つまりジャズ理論が生まれたのは、ビバップが生まれたよりも後なんですね。だから、パーカーやガレスピーらのフレーズに、いわゆるスケールライクなオルタードのフレーズが出てこないのは「そもそも知らなかった」という理由です。ジャズ理論は当然ですが、ジャズが生まれた後に作られた、ということです。
正確に、「いつ、バークリージャズ理論ができたか」を特定することは難しいです。実はこのバークリーの前身と呼べるものもあります。それは、ヨーゼフ・シリンガーという人がやっていた私塾で、この人はロシア(今のウクライナ)生まれの作曲家であのガーシュウィンやグレン・ミラーにも作曲理論を教えています。このシリンガー教室が元となり、バークリー音大に発展していったという訳です。これについては菊地成孔さんの本に詳しくその研究があります。
(「憂鬱と官能を教えた学校〜バークリーメソッドによって俯瞰される20世紀商業音楽史」菊地成孔、大谷能生)
ともあれ、このシリンガーという作曲家はもちろんクラシックの人だったので、その概念(和声を垂直にシステマティックにとらえていく手法)は既に生まれていたとしても、それが我々がこんにち使っているジャズ理論の名称で説明されるようになるのは、やはり1945年のバークリー設立以降のことと考えて良いかと思います。
ですから、この時代、20〜40年代はひとつひとつ「この音は使える」「こういう時にb9の音が使える」といったように、手探りで自分たちなりのジャズ理論を編み出していった形成途中の時期と考えられます。それが、スケールライクなオルタードフレーズが出てこない理由です。また、そういった理由がわかると、この40年代あたりのバッパー達のフレージングを、スケールから解明しようとしても意味がない、ということも分かります。キース・ジャレットやゲイリー・バートンといった、バークリー出身者が活躍する時代になると、そのまま「オルタードスケール」を用いたスケールライクなフレージングが徐々に現れてきます。おそらく、初期のバークリー音大卒業者で最も著名なのは、クインシージョーンズです。なので、このクインシー世代以前と以後で、ジャズ理論に対する概念が変わってきていると知っておくと良いかもしれません。多少なりとも歴史がわかると、なぜそのプレイヤーはそういうフレージングをしているのか、ということを解明するヒントにはなると思います。