バイオグラフィーのようなもの、その2

東京へ。20代前半

高校を卒業し、一旗上げようとギター担いで東京へ。これも、よくある話です。笑。ある事務所のオーディションを受け、デビューすることに。ところがそのバンド、デビューシングル1枚出して渋谷でお披露目ライブやっただけで、一瞬で終わってしまった。なかなかうまくいかないものです。苦笑。そこからもう、ライブハウスだけじゃなくバー、レストラン、ホテル、お祭り、船、スナック、ストリップバー、、、etc、もう本当にいろんなところで演奏しました。ともかく食っていくのに必死で、仕事があればどんな場所へも行って演奏しました。たぶん年間350日くらい演奏してました。こういうのは所謂「ドサ回りバンド」ですが、必然的にポップスやロックだけじゃなく、古いオールディーズ、カントリー、ラテン、演歌まで演奏することに。「現場研修」のようなものですね。まだへたっぴだったのでよく怒られました。厳しい仕事でしたが、しかしいろんなジャンルへの対応力がついたのはこの時期の財産です。オールディーズの仕事が多かったので、それまであまり好きではなかったサム・クックやオーティス・レディング、アレサ・フランクリン、モータウン系、など、苦手だったR&B系の楽曲をたくさん覚えました。(もちろん、今では大好きなジャンルです)
 また、このドサ周りバンドのメンバーの中にスタジオミュージシャンの方がいて、それで、ステージの合間などにリズムやアンサンブルのことなど、色々教わったりしました。様々な経験を積むこともまた、ある種のレッスンのようなものかもしれません。

20代後半。アレンジや作曲の勉強は?

 時代はちょうどパソコンの黎明期。はじめてMacを買い、カラオケのMIDI制作の仕事なんかもしました。UAの「情熱」とかウルフルズの「バンザイ」とか、今でも僕の作ったデータがカラオケボックスで流れている筈です。笑
 僕は音大にも専門学校にもいけなかったので、正式にアレンジ、編曲の勉強はしていません。実のところ、この仕事(MIDI制作)はあまり好きではなかったのですが(一日中、Macの画面と睨めっこ、な訳です。うんざりします。笑)、ただ、一曲発注を受けると、ドラム、ベース、ピアノからストリングスまで、その曲の全てのパートを、完コピすることになるので、これが知らずに物凄くアレンジの勉強になっていました。例えばあるとき、SMAPの曲の発注が来たのですが、難しすぎて全然音が取れない。「なんだこれは」と思い、四苦八苦、苦心してなんとか採譜したのですが、後になって、この時期(90年代中頃)のSMAPのバックは、ドラムがDave Wecklだったり、ベースがChuck Raineyだったり、サックスがMichael Breckerだったり、とすごいメンバーだったことを知りました。そりゃ苦労する訳です。笑。(もし知らなかった人は、この時期、90年代後半のSMAPのアルバムをぜひ聞いてみてください。物凄いバックメンバーです。)
 そんな感じでこのカラオケの仕事はあまり好きではなかったのですが、知らぬうちに気がつくと、ドラムがこのビートなら、ベースはここにアクセントが来るといい、とか、ピアノのヴォイシングがこうなら、ストリングスはこの音域で入るといい、など、そういうことが分かるようになっていました。何年も、様々なジャンルの全パートを採譜することで、それが知らない間にアレンジの勉強、レッスンになっていた、という訳です。僕は誰も彼も、全ての人が音楽を習いに行く必要もない、と思うのは、こういう経験があるからです。

 また、そういったことで、この時期は割とパソコン(打ち込み)と親和性の高いもの、JamiroquaiやMONDO GROSSOなどのアシッドジャズや、UnderworldやChemical Brothersといったビッグ・ビート(テクノ)、ロックだとRadioheadやBjorkなんかをよく聞きました。特にBjorkには多大な影響を受けました。ディアンジェロやエリカ・バドゥなど、今のネオソウルの原型が出てきたのもこの頃でした。ロックでもBECKやホワイト・ストライプスのようなバンドが出てきたのもこの頃でした。当然のことですが良い音楽をたくさん聞くこともまた、音楽のレッスンだと思います。

ところが、、

 20代後半になると少しづつアレンジや作曲の仕事、バックバンドの仕事なんかも来るようになりました。ですが、なんとなく僕の心の中で割り切れない蟠りが大きくなっていきました。ちょうどバブルも弾け、消費物としての、「商品としての音楽」に限界を感じてきたのがこの頃です。そして、ずっと心の中にあった自分の中の「ジャズ」の存在が大きくなっていることに気づきました。この時期ももちろん自分なりに我流で、ウエスやジョー・パス、ジム・ホールなんかをコピーしたりして、ジャズの勉強はやってはいたのですが、自分でもなんか中途半端だな、といつも思ってました。「ジャズの上っ面だけ適当にかじるのではなく、根本からみっちり勉強し直さなきゃダメだ」とだんだん思うようになりました。そう思った時に、自然と足が向いたのはあの布川さんのところでした。どうせ習うなら、中途半端な人に習ってもしょうがない。「この人なら、絶対に間違いない」という人に習おうと。それでちょうど30歳の時に、門を叩いた訳です。

ジャズの師匠、布川俊樹さん

 先にも書いた通り、布川さんのことはずっとファンでしたし、だから最初のレッスンの時はものすごく緊張しました。師事したのは2年ほど。当時布川さんは川崎に住んでおられて、ご自宅に月に2回ほど通いました。一応、すでにプロだったので、レッスンは曲をセッションするのみ、そして時折質問、といった感じ。ですが、この時期ほど自分が成長したことはなかったと思います。やはりそれまで我流で弾いていたので、いろんなことを指摘されました。具体的にはやはり、リズム(スィング感)です。コードやスケールは、教則本を見て自分で覚えることができます。もし仮に間違ったコードを押さえても、自分で気がつくことができる訳です。ですが、リズムやノリ、アーティキュレーションは間違っていても、自分で気がつくことができなません。なぜなら、目に見えないからです。この時期に一からみっちりとジャズを勉強し直せたこと、日本を代表するジャズミュージシャンから直接に学べたことは、僕にとってほんとうに大きな財産になっています。この時に、てきとうに、うやむやにせず、ゼロから勉強し直せて本当に良かったと思います。
 近年は、共演させて頂くこともあります。そしてライブの度に、今でも「あぁ、なるほど、こういう感じか」とか、「あっ、こんなアプローチもあるんだ」とか、勉強になることしきりです。自分より遥かに上手い人とプレイすることも、それもまたレッスンだと思います。
(ちなみに、こちらに去年来阪された時の、布さん道場(布川さんがホストのセッション)の模様があります。興味ある方は見てみてください。「布さん道場ジャムセッション」 in Osaka

そして現在

 30代半ば以降はジャズの仕事だけに専念するようになりました。ですが、近年はボサノバなどブラジリアンを演奏することも増えました。そして最近はかなり古い(1920年代ごろの)ブルースを聞き、研究していたりします。この先も、またぜんぜん違う音楽のジャンルに興味が移っていくかもしれません。
 ジャズを勉強したからといって、ずっとジャズをやらなければいけない、ということはありません。ブルースを勉強してからテクノをやってもいいですし、ボサノバを勉強した上でJPOPをやっても良いわけです。ジャンルに上下などありませんし、音楽は自由です。

 「あれ、それじゃ何やってもいいんでしょ?」って話ですが、何が言いたいのかと言いますと、プロになって30年経って強く感じるのは、どんな音楽をやるにせよ、自分の中に確固たる「土台」がある人は強い、ということです。やる音楽はテクノでも、初音ミクでも、アンビエントでも民族音楽でも、何でも構わない。ただ、その音楽の根っこにしっかりとした土台(ルーツ)がないと、なにか薄っぺらく聞こえてしまう。

他所のスクールさんのように、
「すぐに弾ける〜」
「誰でも簡単にできる〜」
などと謳うことは、僕はあまりしたくありません。なぜなら楽器は決して簡単でもないし、すぐに弾けもしないと思うからです。
 これから楽器を習おうか、どうしようか、迷っている方に向けて。多少なりとも参考になれば、幸いです(^^)

nea Guitar School 代表 nea

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