バイオグラフィーのようなもの、その1

 このサイトを見直していて、うーん、ちょっと文章硬いかなぁ、、と思い、もう少しざっくばらんに、楽器のレッスンについての雑記を書いてみることにしました。僕がギターを習いに行くきっかけになったことや、その時考えたことなどを、みなさんとシェアできればと思います。

そもそも、習いに行くというのは、とても勇気のいることですよね。僕は2人の方に師事したのですが、習いに行く前に、
「いったい、どんな人なんだろう?」
「どんなレッスンなんだろう?」
「怖い人じゃないといいな」
 と、気になってしょうがありませんでした。笑
「何かを習いにいく」ということは金額はさほど高くないとはいえ、おそらく人生で数回しかない選択です。ですから慎重になるのも当然だと思います。僕もそうでしたし、皆さんもあれこれ思い悩むことと思います。

 ちなみに、僕が習った2人の師匠というのは、このお二人、まず高校生の時に習いに行った中野重夫さん、
中野重夫http://www.e-net.or.jp/user/adam/bor/bor.htm
 それと、だいぶ後、東京へ出てから師事させて頂いた、教則本などでお馴染みのこの方です。
布川俊樹 ホームページ TOSHIKI NUNOKAWA OFFICIAL WEBSITE

子供時代のレッスン

 僕は1970年に三重の津市で生まれました。実はギターをはじめる前に、3歳から12歳までピアノも習ってました。まず3歳の頃、近所のピアノ教室に通いましたが、幼稚園の頃なのでほとんど覚えていません。
 小3頃からは、近所の音大生の方の個人レッスンを受けました。
 これは、、、怖かった。笑。手の(運指の)形が悪いとよく叩かれましたし(まぁ、この頃の時代ですから笑)、最後には卵を握らされ、ガムテープで両手をぐるぐる巻きにされたりね、するんです(今だったら体罰で大問題です。笑)。なかなかにストリクトでスパルタな先生でした。笑。ひたすら怖いだけでちっとも楽しくなかったし、嫌で嫌でしょうがなく、中学に入るとすぐにピアノは辞めました。
 ただこのお陰で音感やリズム、ソルフェージュといった、音楽の基礎が身についたので、もちろん今では良かったなと思ってます。
 ですが、これらはまだ子供時分の話ですし、自分から自発的に習いに行った訳でもありませんので、置いて。

最初の師匠、中野重夫さん

 中学2年ごろにLed Zeppelinをはじめ、ビートルズ、ストーンズ、エアロスミス、、など、洋楽ロックの洗礼を受けました。。よくある話です。
 それで、自然とギターをはじめて。
 最初のギターは中3の夏休みに工場へバイトに行き、お金を貯め、名古屋の「コメ兵」という質屋さんで買いました。テレキャスのコピーモデル、1万5千円。いやもう、手に入れた時は嬉しかったなぁ。
 それでまず、最初は独学で始めたんです。1年くらい経つと、簡単なリフとか、ちょっとしたソロも弾けるようになって。そんな時、ある人に、
「ものすごいギタリストが、今三重に帰って来てるらしいから、習いに行ってみれば?」
 と勧められて。それが中野さんでした。ちょうど、アメリカから帰ってこられた時期だったのかな。中野さんは「日本のジミヘン」と異名を持つ方で。で、YOUNG GUITARに出ている中野さんの記事を見せられて。で、その時思ったのが、
「まだこんな、ギター始めたばっかの小僧が、こんな凄い人に習っていいものだろうか?」ってことで。ようは、ちょっとびびってしまって。笑
 それに、少しづつ弾けるようにもなってきていたので、「独学でなんとかなりそうだ」という思いもありました。でも今考えればそれは、チャレンジしたくない自分への言い訳でした。ようは、ちょっとビビってたんですね。笑。で、実のところ、あまり気乗りしなかったんです。ところが、その勧めてくれた人に、「こんなチャンスが近くにあるのに、習いに行かないのは勿体なさすぎる」と言われて。その人に背中を押されて、半ばしぶしぶ、半ばビビりながら、笑、中野さんの所へ行った訳です。

 それはもう、本当に勉強になりました。まず最初に、チューニングから指摘されて。あぁ、プロって、こんなに厳密に合わせるんだな、って。ロックギターなんて、ノリと勢いだけで、割と大雑把にやってるものだと勘違いしてた訳です。笑。ところが、スケール練習をしても、
「あ、今、3弦のノイズが少し鳴ったよね」
とか、カッティングしても、
「いま、2拍目の裏が走ってたよ」
とか。ほんと、もう一からあらゆることを指摘されて。笑
 ようは、何もできてなかった訳です。だけど、自分ではちょっと弾ける気になってた、ということで。ソクラテスの無知の知、ではありませんが「自分ができないことを、分かる」ことは、とても難しいです。なぜなら、自分では「できる」と思ってしまっているので。他者から客観的に指摘されないと、なかなか自分では気づけない。「分からない」とは、「何が分かっていないかが、分からない」ということです。

 とにかく、レッスンは緻密で厳格でした。ハノンやトライアドの分散などの運指や、クリックと寸分違わぬように緻密にリズムを合わせる練習など。課題は難しく、ぜんぜんこなせなかったのですが、しかし一番勉強になったのはそういった個々の課題ではなく、
見た目にはダマされてはいけない
ということでした。ロックって、もっと勢いとノリで弾いてると思ってた訳です。パッと見、すごく大雑把に弾いているように見えるけど、裏ではこんな緻密に練習してるのか、という驚きでした。雑誌や教則本でもフレーズは覚えられます。だけど、「どのくらい、緻密にそれをやるのか」という「程度」が分からない訳です。当時の僕は、ほとんど間違ってました。僕が考えているよりもずっと緻密に、高い次元でやってるのだな、ということが体感として分かりました。そのことが、習いに行った一番の収穫でした。

 その後、中野さんはまた忙しくなって東京へ。習った期間はわずか半年ほどでしたが、初期の段階から中途半端な先生でなく、もうガチな人に直接習えたことは、その後もずっと代え難い僕の財産になりました。本当にラッキーだったというしかありません。あの時、なけなしの根性出して習いに行っておいて、本当に良かったと思います。笑

 ずっと後年、東京でイシバシ楽器のワークショップで近くに来られてた時に、20年ぶりくらいに挨拶しにいきましたが、全く覚えておられませんでした。「うーんと、誰だっけ?」とか言われて。笑
 でも、
「おー、あの頃の生徒さんかぁ、そうかそうか、プロになったんだ、良かったね、頑張るんやよ」
 と励まして頂きました。またお会いしたいのだけど、なかなか機会がなくて残念です。

高校生のころ

 そして高校に入ると御多分に洩れず、学校にも行かず、バンド三昧。よくある話ですね。
 Zepなどの王道ものから徐々に、FreeやFacesといった渋めのロックに。ジョニー・ウインターを聞くうちに彼のプロデュースしたマディ・ウォーターズの「Hard Again」というアルバムに出会いました。そこからロバジョン、マジック・サム、アルバート・キング、B.B.キング、、etc、とブルースに嵌っていきました。また同時に真逆の方向で、プログレッシブ・ロックにも夢中に。はじめはRushやキング・クリムゾン、EL&P、といったロック寄りのものから、徐々にYes、UK、ソフト・マシーン、といったフュージョンに近いものへ。そんな流れの中で、ライフタイム、そしてリターン・トゥ・フォーエバー、ウェザーリポート、と、気がつけばジャズに近いものへと興味はシフトしていきました。そしてマイルス・デイビス。もちろん、その当時は自分がジャズギタリストになるなんて思ってません。ただなんとなく、難しそうだけどカッコいいな、と思った程度です。だからバンドではハードロックばかりやってました。
 また、やはりこの頃、F.スコット・フィッツジェラルドの小説「グレートギャッツビー」に出会って。またやはり同時期、映画「イージー・ライダー」にも出会います。とにかくアメリカ文化にハマった訳ですね。特に5〜60年代の。
 また、この頃、毎月「ギターマガジン」を欠かさず購読していて。その中で、まだ若手ギタリストだった布川俊樹さんが、音楽理論のコーナーを書いていたんですね。それを見てコードとかスケールを覚えたりしました。後年、東京へ出てジャズをやるぞ、となった時に布川さんに師事したのは、その頃からずっと憧れていたからです。もちろんそれはずっと後年のことです。

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