未来を嘱望されながら、たった1枚のアルバムを残しただけで突如歴史から消えたピアニスト、テノーリオ・ジュニオル。彼を描くドキュメンタリー映画『ボサノヴァ~撃たれたピアニスト』を見に、心斎橋のkino cinémaさんに行ってきました。
物語は、ニューヨーク在住の音楽ジャーナリスト、ジェフ・ハリスがテノーリオの足跡をたどる形で展開。ブラジルへ渡り、ボサノヴァ黎明期に活躍した様々なアーティストにインタヴューを試みながら、彼の軌跡を追っていきます。
1960年代、サンバジャズ界で高く評価されていたテノーリオは一般には知られていない存在でしたが、同時代のミュージシャンの多くが最高のピアニストの一人と評価しています。リーダーアルバムこそ一枚しか残していませんが、ガル・コスタやエグベルト・ジスモンチはじめ、多くの名作にもサイドマンとして参加していました。特に、僕の好きなナシメントの『Minas(1975)』にも彼が参加していたことは、迂闊にも知りませんでした。作中では、ミルトン・ナシメントやカエターノ・ヴェローゾはじめ、ブラジル音楽界の重要人物たちが次々と証言者として登場。ボサノヴァの誕生と同時期に起きた政治的混乱が、彼らの証言から浮かび上がります。
当時の南米諸国は、軍事政権による抑圧が色濃く影を落としていました。ブラジルでは1964年のクーデター以降、表現の自由が制限され、またアルゼンチンでも1976年に軍事政権が成立。秘密警察による拉致や失踪が日常的に行われていた背景の中で、テノーリオの失踪もまた、政治的な犠牲の一例だったことが徐々に判明していきます。ジルベルト・ジルとカエターノ・ヴェローゾが軍事政権に逮捕され、その後ロンドンへ亡命したことはよく知られていますが、当時の南米はそういった厳しい時代だったということですね。
エラ・フィッツジェラルドが自身のライブを終え、テノーリオの演奏を聴くために駆けつけたというエピソードも紹介されます。彼がアメリカのジャズミュージシャンたちからも注目を浴びる存在だったことを物語る逸話です。演奏の名手といえばジョアンやバーデンなど、どちらかというとギタリストに焦点が当たり、ピアノは作曲やコードワークのみに焦点が当たりがちなこのジャンルで、もし彼が生きていたら、ソロ楽器としてのボサノヴァピアノももっと発展していたかもしれません。ボサノヴァの美しいメロディの背後に潜む社会の不安と、若き音楽家たちの希望と葛藤。テノーリオは4人の子供と、当時妊娠中だった妻を残したまま、亡くなりました。残された遺児たちの取材シーンもあります。重く、切ない、素晴らしい映画でした。
本作はドキュメンタリーでありながら、全編アニメーションによる映像で構成されています。例えばこういった音楽ドキュメンタリーって、現在の関係者などの証言シーンと、過去の写真や動画などで構成されていることが多いですが、それらが全てアニメーションであることによって現在と過去がシームレスに繋がり、却ってリアリティが増していました。実は見る前は、「アニメーションか、どうなのかな」と多少不安だったのですが、むしろこの手法を用いたことで、素晴らしい音楽ドキュメンタリー「映画」になっていたと思います。おすすめです、まだ未見の方は、ぜひ見に行ってみてください。それともちろん、彼の残した唯一のリーダーアルバム、『Embalo (1964)』もぜひ、聞いてみてください(^^)